インタビュー
インタビュー
掲載日:2021.03.01
水ジャーナリストとして水問題やその解決方法を調査されている橋本さん。「今、求められる河川・水教育」をテーマとしてプロジェクトWETを含めた活動のお話を伺いました。(2021年3月発行河川財団NEWSインタビュー時)
【PROFILE】
橋本淳司さん
/アクアスフィア・水教育研究所代表/武蔵野大学客員教授
水ジャーナリストとして水問題やその解決方法を調査、さまざまなメディアで発信している。国内外で地域の水問題を解決するためのファシリテーター、チームビルディングのためのコーディネーターを行う。文部科学省指定のスーパーグローバルハイスクール、ワールド・ワイド・ラーニング・コンソーシアム拠点校において、探究学習や「主体的・対話的で深い学び」を実現するためのカリキュラムと教材を作成し、授業をプロデュースするとともに、自らも授業を行っている。
私は群馬県館林市という利根川と渡瀬川に挟まれた、沼の多い土地で育ちました。館林の沼は、2019年5月、文化庁から日本遺産に認定されました(『里沼(SATONUMA)―「祈り」「実り」「守り」の沼が磨き上げた館林の沼辺文化―』)。里山は人の暮らしの近くにある共有資本で、活用しながら保全するしくみをもっていますが、里沼はその沼バージョンです。かつて館林城は沼を要害にし、寺の茅葺き屋根は沼を浄化する葦を使い、人々は沼から引いた水で米や麦を作り、沼に棲むウナギやナマズを食べていました。そうした暮らしは近代化で変化してしまいましたが、それでも私は子どもの頃、沼で魚を釣ったり船に乗ったりして過ごしました。この原体験から水辺や水源を巡ることが好きになり、やがて仕事になっていったと思います。
水の取材の仕事を始めた頃は、フランスの有名なミネラルウォーターの採水地や、カナディアンロッキーの水源地など、水の豊かな土地に行き、健康にいい水、美味しい水について現地の人の話を聞いていました。子どもの頃の楽しい時間の延長でした。
1996年、バングラデシュに現地調査に行きました。水道の整備されていない地域に行くのは初めてでした。井戸のまわりに集う女性や子供たちを見て、「ここも今まで見てきた水場と同じだ」と感じました。飲み水や生活用水を得る場というだけではなく、地域の交流の場、コミュニティの中心になっていると感じました。ところが、いくつかの水場を巡っていると「変だな」と思うようになりました。赤く塗られた手押しポンプやバツ印のついた井戸がありました。本に3本程度の割合です。
赤いポンプも他のポンプと変わらず普通に使われている様子だったので、「なぜ赤く塗られているの?」とその場にいた女性に聞いてみると、驚いたことに「その井戸からはヒ素に汚染された水が出る危険がある」と言いました。彼女は自分の子にそこから汲み上げた水を飲ませていました。
「その水を飲ませてはいけません!ヒ素は猛毒です!」と押し留めたのですが、彼女は哀しい表情で私にこう言ったのです。「そんなことは知っています。でも私たちにはこの水しかないんです」と。「安全な水を得るには、ここから半日以上歩いたところにある水場まで行かなければならない。毎日そこまで水を汲みに行くのが、どれだけ難しいかはわかるでしょう?」
ショックでした。それまで飲み水の安全性に疑問をもったことはほとんどありませんでした。むしろ美味しい水、体によい水など、水の付加価値に関心がありました。フランスのミネラルウォーターが銘柄ごとに健康への効果に違いがあり、この水は胃腸障害に効く、この水は尿路結石に効くなどという話に興味をもっていました。「生きていくのに必要な最小限の安全な水が得られない人がいる」。それまでの水に対する印象が変わるきっかけとなった出来事でした。
この体験で「水のことを伝える仕事」は、もう辞めてしまおうかと悩みました。それまでやってきたことに対する罪悪感を強く覚えたからです。今となっては若さゆえの迷いだったかもしれませんが、「自分は井の中の蛙だった。水のことを知っているつもりでも、実はほんの一部しか見えてなかった」と自分自身を責めて追い込んでいました。
一方、こういった負の側面を伝えていくことで、それを解決していこうと思ってくれる人が現れるかもしれない、という願いもありました。自分勝手な動機付けでしたが、以降は「水に困っている人たち」の取材をするようになりました。
水で困っていると一口に言っても、問題はさまざまです。盛んに耳にするSDGsの中でも、水の問題は大きなテーマであり、各目標と深く関わり合っています。例えばバングラでの話は水と健康の問題ですが、インフラ整備の資金に貧しく、小規模の水道すら引くことが出来ない水と貧困の問題もあります。エチオピアに調査に行った際は、現地の子供たちと一緒に水を汲みました。まだ幼い子供と女性だけが1日6~7時間を水汲みだけに費やす生活を送っていました。
そのなかに「自分は将来医者になる」という夢を抱いている女の子がいました。話していて「とても頭のいい子だ」と感じましたが、彼女は現在も水汲みを続けています。学校に行けなかったのです。彼女を思うと水と教育の問題も深くつながっていると感じるのです。近年は気候変動の問題も大きくなっています。安全な水を得る、生活排水を流すといった基本的なインフラが整っていない地域ほど、渇水や豪雨に対して脆弱です。
私は流域という視点、水循環という視点が大切だと思っています。上流域に降った雨が地下にしみ込んだり、湧き出して集って一筋の大河となり海へ出ていく。人の暮らしは流域の中にあり、生活や生産のなかで流域の水を借り、流域に水を返します。
流域を暮らしの拠点と考え、ただ単に問題の発見、指摘に留まることなく、具体的な解決方法の提案に至るまで、より多くの人々に伝えていきたいと思っています。
水教育に本格的に関わるようになったのは2002年、全国の小学校で学習指導要領に規定された「教科等横断的な視点」の実践で総合的・横断的な学習が始まった頃でした。私の記事や本を読んだ小学校の校長先生から「水について国内外で見聞きしたことを児童たちに話して欲しい」と依頼を受けました。内容は開発途上国で体験した話でした。「バングラデシュではヒ素に汚染された水を飲まざるをえない赤ちゃんがいる」「エチオピアには毎日、何時間も水を汲みにいかなければならない母子がいる」などと、現地で撮影した写真を見せながら話しました。
ところが話を進めるうちに、「これはまずいな」と感じました。
小学生からは「世界にはかわいそうな子供がいるんですね」という反応が多かったのですが、どこか他人事。「かわいそうな人たちが世界にはいるけれど、自分たちは大丈夫、自分たちとは関係ない」という雰囲気。私が力を入れて話せば話すほど、その傾向は強くなりました。水の問題は決して他人事ではなく、当事者として問題が起こる仕組みを理解して、一緒に解決することを考えていくことがとても重要なことなのだと思います。
初めての水の授業では、水の大切さを伝えることは出来ませんでしたが、おかげで「水を取り巻く現実を伝える」だけでは問題の本質を理解してもらうことはできないということに気付きました。なにより大切なのは自分ごととして一緒に考えてもらうこと。自ら問題に気付き、解決策を考え、実際に行動を起こしてもらうこと。そのような総合的な学習カリキュラムを目指して、試行錯誤を繰り返しました。
当初は簡単なワークショップを行いました。例えば水が使えない状況になったとき、自分や家族に何が起こるか。その状況が1週間続いたら、2週間経ったら生活はどうなるか。想像して話し合いました。実際に1日リットルで暮らしてみたこともあります。また、水辺に行くことが大切と考え、地域の河川を歩いたり、その周りの地形や地質、生き物を見たり、水質調査をしました。「流域巡検」は今でも続けています。
ワークショップについては、プロジェクトWETに出会って劇的に変わりました。こんなにすごいのがあったんだ!と。
はじめて知ったのは2006年、玉川大学の学生さんが行なったアクティビティ「驚異の旅」のデモンストレーションを見たことがきっかけです。これは是非ともやりたいと思いました。早速、講習会に参加して、エデュケーター、ファシリテーターの認定を取得しました。
私自身は総合学習の時間の特別授業「水の教室」で招聘された際にアクティビティをフル活用していました。総合学習授業は小学校では1コマ分なので、当初アクティビティだけやっていました。それだけだとなんとなく「もったいない」と感じていて、2コマ続きでやらせていただく際に、1コマ目はアクティビティを、2コマ目は調べ学習や話し合いの時間にすると、プロジェクトWETの良さが際立ちます。
多くのエデュケーターは、アクティビティをしっかりやられていると思いますが、アクティビティをきっかけとして使い、そこから自分たちの地域の水のことを考える、あるいは地域にある問題を考えるためにいくつかのアクティビティを組み合わせるといった活用をおすすめします。
メディアでは「世界的に水不足」と報じられますが、先進国のように水インフラの整っている所と開発途上国ではまったく状況が異なります。豪雨災害が発生すると被災地では大変な思いをしますが、全国的には影響のない場所が多く経験を共有することが難しい。
では、実感がないから問題無いかというとそうではない。流域の河川を見に行ってみれば意外と汚れていたり、生き物がいなくなっていたり、地下水が汚染されていたり、また水道事業の経営が知らぬ間におかしなことになっていたりします。ですから個別の地域・流域で、自分たちの水の現実を確かめること。水の未来を他人事にしないで、一緒に考えていくことが重要なのだと思います。
私たちの生活が新型コロナによって制約を受ける前から、コミュニケーションの本質は変わりません。話し合い、決定し、行動する。学校や会社、家庭や地域で以前からずっと行われ続けてきたことです。
人は一人一人、違います。一〇〇人いれば、一〇〇通りあるいはそれ以上の価値観、考え方があるわけです。一生ずっと一人で生きられる人はともかく、私たちはリアルな場所で誰かと人生を共にしています。人は複雑でややこしい。人によって作られた社会もややこしい。そして人は、間違う。自らを正しいと思い込み、あるいは間違っていると知りながら、誤った意思決定をしてしまう。だからこそ、色々な価値観に触れることで、様々な角度からものを考える必要があります。
新型コロナによって社会は大きく変わりました。前例、経験が活かせない時代。だからこそ、自らを疑い、多様な価値観に耳を傾け、受け入れ、意思決定していく。「ダイバーシティ・アンド・インクルージョン」が重要だと思います。
集団が集まることや直接顔を合わせるといったリアルな対話の機会が圧倒的に減って、コミュニケーションが希薄になった今、セミナーや大学で行っている講義もオンラインで行う形が多くなっています。資料を事前に共有し、その説明を行うだけならばオンラインでも問題ありません。しかし、今求められる教育、つまり学習者が自ら課題を見つけ、探究するタイプの教育はそれで十分でしょうか。調査研究・グループディスカッション、発表などを通じて、知識や技能を使いこなし社会的な課題を解決する力を身につけるためには、パソコンやスマホの前で話を一方的に聞いているだけでは到達できないと思います。
私は、オンラインであっても、対話・主体的で深い学びは達成できると考え、その方法の一つとしてプロジェクトWETをオンラインで行うことを試行しました。2020年4月上旬に一般の親子を対象としたオンライン体験会を行ったところ「オンラインでも工夫をすれば充分子どもたちと楽しみながら学べることを体感させて頂きました」といったコメントをもらうなど一定の手ごたえを感じました。6月に入ってからは武蔵野大学で「流域」をテーマにした課題解決型のオンライン授業を行い、全7回のほとんどの講義でプロジェクトWETを試行錯誤しながら活用しました。過年度であればフィールドワークを行っていた講義でしたが、オンラインであってもアクティビティを通じて学生の水に関する関心や取組意欲が高まり、最終回には、授業から着想を得た課題解決方法について学生がプレゼンテーションを行いました。
目的が達成できれば、オンラインもひとつの有効な手段だと感じています。当然デメリッ目的が達成できれば、オンラインもひとつの有効な手段だと感じています。当然デメリットもあればメリットもあります。期せずして、対面・オンラインを状況に応じて使いわけることが求められるような社会環境になってきたのだと感じています。
2020年度から小学校においては新しい学習指導要領を踏まえ、「アクティブ・ラーニング」型つまり「主体的・対話的で深い学び」が得られるような授業改善が求められるようになったと同時にコロナ禍を経て教育の手段のあり方も次の段階に移行したのだと実感しました。
地球温暖化に伴う気候変動、それに津波、洪水、土砂崩れ、干ばつ、飢餓、パンデミック。この数年、マスメディアで幾度となく大きな見出しで伝えられてきた「水不足」「食糧不足」「環境汚染」「バイオ汚染」…数々の懸念は、新型コロナのパンデミックという現実となってしまった。持続可能目標SDGsは、全地球規模で課題解決に全集中で立ち向かわなければならない。そういった状況の中、未来ある子供たちに、SDGs関連の環境教育の強化、充実が盛り込まれています。
水の問題は、SDGsの第6番目に挙げられている課題ですが、実は他の項目の目標いずれとも密接な関係です。中でも番目の気候変動の課題は双子並みの関連性があります。
水は、エネルギー資源として、生命維持として、運輸や経済インフラとして多様な役割を持っています。さらには教育、貧困、衛生やジェンダーといった問題にも深く関わっています。
これまでプロジェクトWETは、講習会やイベント授業等一つの場所に集まり、アクティビティを通じて少人数でグループワークや対話等を行いながらお互いに学びあうという手法が取られてきました。しかしそのような機会が設けられる場は全国的には限られており、参加しようと思っても物理的に遠かったりするなどの課題がありました。
コロナ禍においても、主体的・対話的で深い学びを得るためにはプロジェクトWETのような教育手法は極めて効果的であり、オンライン上であってもそのメリ ットを活かすことができると当時に、これまでのプロジェクトWETの課題も解決できると思います。
オンラインには双方向型(リアルタイムのやりとり)とオンデマンド型(動画配信等)があります。居住地域がどこであっても、オンラインできる環境があれば学習することができる。プロジェクトWETのアクティビティも従来の対面式以外にもオンラインによる双方向型またはオンデマンド型で実施することで、遠く離れた方にも体験・受講することができるようになるのです。
オンラインによるチャット機能や映像資料共有など、様々なツールを用いる、あるいはワークシートを事前に送付することで反転型の授業が可能となるなど、様々な新しい学びの方法を生み出すことができます。もちろん解決すべき課題も多いですが、オンラインならではの新たな学びの可能性を模索する時代になってきたと感じています。
水循環、流域、多様な視点、関係性などの観点から、これからの社会の課題解決において、水教育は絶対不可欠なものであると言えます。Withコロナ社会では、私たち一人一人が『エコシステム(生物多様性の連鎖する生態系)』の一部であることを自覚し、未来に引き継ぐバトン「水」について自ら学び、自ら考え、課題解決に向けて共に行動する。そんな時代が来ているのです。
もしかしたら私たちが水教育によって「未来へ生きるチカラ」を身に付けた子供や孫から、未来に繋げる生き方を教わる日は、かなり近いかもしれません。
【このインタビューページは令和3年3月の河川財団ニュースの特集記事を再掲しています】
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