【河川基金からのお知らせ】

新規開発したカワネズミ糞を用いた非侵襲的DNA解析手法を駆使した保全遺伝学的研究

信州大学 副学長(学術研究院理学系教授)東城幸治さん(長野県)


 日本の山岳渓流にすむ日本固有種・カワネズミ。研究が難しく、これまで生態がほぼ解明されていなかったこの哺乳類を、糞便サンプルを用いた非侵襲的に実施することで、集団にダメージを与えることなく取組むことを目指しました。国土交通大臣賞を受賞したこの研究に取り組んだ、信州大学大学術研究院理学系の東城幸治教授に、この研究について、手法と意義について話を伺いました。

カワネズミの糞に着目

 もともとの私の研究分野は水生昆虫の発生遺伝学です。「水生昆虫の卵の中でどういう遺伝子が発現して、その結果どのように体ができるのか?」を解き明かすのが専門で、今もこうした研究は続けていますが、約20年前に信州大学に赴任したのが大きな転機でした。豊かな自然に囲まれた信州大学にはフィールドワーク好きな学生が集まってきますし、私自身も山登りが趣味でしたので、フィールド調査を含む研究が徐々に増えていきました。そんな中でカワネズミに着目した理由は、河川(渓流)生態系における上位捕食者であるものの、系統や進化史、生態などがよく解っていないからです。
 私自身、長年にわたって河川に関わる研究をしてきましたが、生きたカワネズミを観察したのはわずか数回です。夜行性である上に、渓流内で餌を採るために観察も生け捕りも難しいからです。濡れた状態で捕獲すると体温低下などのダメージが大きく、一般的な発信機では夜間の水中行動に対応できません。そこで、最近の遺伝子解析の技術革新に乗じて、糞を利用して遺伝子解析を行い、さらに高感度のマーカーを開発すれば、糞から個体識別ができ、個体の行動範囲なども明らかにできるのではないかと考えました。
 DNA解析技術は革新的な進化を遂げています。私が学生だった90年代は、世界的な共同企画として「ヒトゲノム計画」が展開された時期で、膨大な予算を投資し、約30億塩基からなるゲノム解読に約13年もかかりましたが、今やそれが数日かつ低コスト(十数万円ほど)でできます。次世代シーケンサーの誕生以来、膨大なゲノム解析がやりやすくなり、個体識別や親子判定に有効とされるマイクロサテライトマーカーの開発も容易になりました。糞内の微量で断片化されがちなDNAでも、バイオインフォマティックスの技術を使うことで、 DNA情報の分析も容易となりました。そのような背景もあり、カワネズミの進化・生態研究を始めることにしました。

糞からのDNA採取の技術

 カワネズミは、名前に「ネズミ」が付きますが、トガリネズミ科の一種で、系統的にはモグラに近い動物です。モグラと同様に目はほぼ見えませんが、獲物の匂い(臭覚)や髭による触覚を駆使してイワナやヤマメ、サワガニや水生昆虫などを捕まえて食べます。魚介類を食べているため、カワネズミの糞には他の哺乳類の糞とは異なる独特の臭いがあります。そのため、糞のありそうな岩や巨礫の隙間などに塩ビパイプを差し込み、臭いを嗅ぎながら糞を探索します。カワネズミの糞は、岩の隙間のほか、ステップ(小滝)とプール(淵)が連続するような場所の岩や巨礫の上、とくに両側に流れがあるような流心部の岩や巨礫上でよく見かけます。テンやキツネのようなより大きな哺乳類に襲われないような安全な場所ということでしょうね。
 糞の表面には排泄主であるカワネズミ自身のDNA(消化管の表皮細胞由来)が付着しているため、滅菌した綿棒で糞の表面を拭い採るようにしてカワネズミの DNAを採取します。この綿棒を DNA保存用のリシス・バッファー液に浸すことで、少なくとも数年間は DNAを安定して保存することができています。これらの研究手法の確立には、2人の大学院生が中心的に取り組んでくれました。一人目の学生(関谷知裕さん)は、糞からカワネズミのDNAを抽出する技術を確立してくれました。糞内には大腸菌などのバクテリア由来のDNAも多いのですが、カワネズミのDNAだけを安定的に解析できるようになりました。そして二人目の学生(山崎遥さん)は、マイクロサテライトマーカーを開発し、個体識別の技術を確立してくれました。
 水しぶきがかかるような水辺に排泄されるカワネズミの糞は加水分解されやすく、菌類・細菌類なども増殖しやすいので、一般的な動物糞からのDNA解析手法は適用できず、細々とした工夫が必要でしたが、彼らの頑張りでなんとか克服することができました。

DNA解析から見えてきたもの

 全国でカワネズミ糞を採取し、ミトコンドリアDNAを解析した結果、カワネズミは遺伝的に大きく分化した4つの系統(Ⅰ:東北地方~関東地方、Ⅱ:中部地方~紀伊半島、 Ⅲ:中国地方、Ⅳ:九州地方)から構成されることが分かりました。

カワネズミの系統解析結果(ミトコンドリアDNA Cytb領域)と分岐年代の推定結果(Ma:百万年前)


カワネズミ属は東南アジアから東アジア地域に生息し、青森県が分布の最北限です。最も原始的な系統が九州で、次が中国地方、そして本州を北上していったと考えられます。氷期になると海水面が下がるため、陸続きになったタイミングで分布を拡大したと考えられます。系統ⅠとⅡは分布域が重なっていますが、生息域が縮小した際にそれぞれ別の避難地域(リフュージア)に残存した系統同士が、分布域が拡大した現在に二次的接触をしていると考えられます。生態ニッチ解析からは、東北日本では氷期に分布域が縮小し、間氷期に拡大すると推定されています。

マイクロサテライト解析結果に基づくABC解析(系統解析)結果。分布域を機械的に6地域に区分し、
地域区分を単位として最適と評価された分岐シナリオ


 また、マイクロサテライトマーカーによる核遺伝子の一塩基多型データに基づき、系統の分岐パターンについて、もう少し詳しいシナリオを見いだせないものかと考えました。生息域を6地域(①東北・北部、②東北・南部、③本州・中東部、 ④本州・中西部~紀伊半島、⑤中国地方、⑥九州)に区分し、各地域の遺伝構成から進化モデル(系統の分化や融合)の考えられるパターンそれぞれについて評価し、最適なモデル選択を試みました。まず九州(⑥)と本州(①~⑤)が分化し、次いで南西日本.本州中部(②~⑤)と東北・北部(①)が分化し、続いて南西日本.本州中部(②~⑤)では中国地方(⑤)と本州中東部(②~④)、さらに(②と④)が分化した後に中部山岳域で二つの系統(②と④)が接触することで新たな系統(③)が誕生したとするシナリオが支持されました。東北・北部の系統(①)が比較的早い段階で分化し維持されてきたとの評価は、ミトコンドリア DNAでの解析ではみられなかった新たなシナリオと言えます。

さらに研究成果を発展させていくために

 本研究からは、異なる個体同士が同じ「ため糞」(糞が多くたまった場所)場を利用することから、互いの行動圏が重複することを明らかにできましたが、これらの個体の性別や血縁度などを遺伝的に究明することで、行動生態に関する知見をより深めたいと思っています。また、ひとつの渓流内に、複数個体の行動圏がどのように配置されているのか、餌となる水生動物の密度とカワネズミ行動圏の関係性、ハビタット(生息場)の質と行動範囲や生息密度の関係性、そして渓流間や流程区分ごとのカワネズミの遺伝的多様性、自然の滝や砂防堰堤などの人工構造物とカワネズミ行動圏の関係性などを蓄積していくことができれば、カワネズミ保全における重要地域の可視化にも繋がると期待しています。また、現在、一人の大学院生が、カワネズミと同様に渓流にすむ魚類や水生昆虫などを餌とする鳥類のカワガラスの研究に取り組んでいます。糞からの遺伝子解析であれば一時的な捕獲さえ必要とせず、生物そのものや生態系を脅かすことなく調査研究を展開できるという点で有効性の高い手法だと言えます。

国土交通大臣賞受賞によせて

 国土交通大臣賞という大変名誉な賞をいただき非常に感謝しております。また財団関係者の皆さまに深く感謝いたします。この研究は二人の大学院生が引き継いで実施してくれました。もともと私たちの研究室では水生昆虫を対象に研究を行っていたのですが、カワネズミの生態研究に取り組んでいた研究者から遺伝子解析の協力を提案され、哺乳類に関心をもっていた関谷さんが最初に取り組んで修士課程まで進み、糞からの遺伝子解析手法を確立してくれました。引き継いだ山崎さんもまた修士課程まで進み、マイクロサテライト解析の手法を確立してくれました。カワネズミを生体展示している「アクアマリンいなわしろカワセミ水族館」にも協力をいただきながら、発展させることができました。
 ようやくカワネズミの系統や進化史を「広く浅く」理解することができましたが、行動や生態については依然として未知の部分が多く残されています。研究題目に掲げた「保全」に向けては、まだまだやるべき課題が多く残されていますので、今後も継続して調査・研究し、より理解を深めていきたいと思います。

プロフィール

信州大学 学術研究院 理学系教授
東城幸治さん

1999年 筑波大学生物科学系・準研究員
2002年 科学技術振興事業団・科学技術特別研究員(JST・PD)
2002年 日本学術振興会・科学技術特別研究員(JSPS・PD)
2004年 信州大学理学部生物科学科・助手(2007年より助教)
2012年 信州大学理学部生物科学科・准教授
2017年 信州大学学術研究院理学系・教授(理学科・生物学コース)
2021年 信州大学・副学長(広報、学術情報担当)
     信州大学附属図書館長・信州大学大学史資料センター長を兼任


1971年生まれ。福島県福島市出身。筑波大学第二学群生物学類卒業(学士・理学)、筑波大学大学院博士課程(5年一貫制)生物科学研究科修了(博士・理学)。専門は、動物の系統進化・進化生態学で、主に河川に生息する動物を対象として研究に取り組む。2021年より副学長(広報、学術情報担当)を兼任し、附属図書館長や大学史資料センター長を担当している。信州大学内に総合博物館を設立することを目指し、2022年度内に準備室を設置予定。

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