【河川基金からのお知らせ】

防災まちづくりへの応用を目指した
滋賀県水害履歴調査

関西大学環境都市工学部 都市システム工学科 准教授
林倫子さん

 滋賀県では、全国に先駆けて総合的治水対策である「流域治水」を推進しており、水害リスクの高い地域を対象とした「水害と土砂災害に強い地域づくり」の一環として、水害履歴調査が行われています。この調査に2014 年から参画し、現在も官学協働で進めている関西大学・林倫子先生に、本研究の意義と今後の課題についてお話を伺いました。

水害履歴調査を行おうと思った理由

 この水害履歴調査は、地域の過去の水害を知る方々から、自身の水害経験や水害に関する地域知などを聞き取り、それを誰もが見られるマップという形にしてアーカイブするという活動です。しかし、治水事業の進展により滋賀県内での甚大な水害は、初めて特別警報が出た平成28年(2016年)の台風18号を除くと、昭和28年(1953年)と昭和34年(1959年)が有名ですが、それ以降は発生件数が激減し、昭和40年(1965年)の台風24号が最後です。水害発生から60年が経過しており、その水害経験を語れる人となると、限られた世代になるわけです。もともと滋賀県の流域治水政策室が行っていた取り組みで、学術的観点が必要ということでお話をいただいて始めたのがきっかけなのですが、当初は、かなり躊躇しました。土木出身ではあるものの、それまでは近代以降の水辺の景観形成や水環境の恵みと人間社会の関係に関心を持って研究しておりましたので、自分には河川工学や水害のメカニズムに関しての知識が不足していると思ったのです。ですが、土木史の研究をしているときに、歴史事象が書き残されていないために事実が埋もれてしまい、知りたいことを知ることができないもどかしさを幾度も味わっていましたので、この調査が大変意義のあることだというのはよく理解できました。
 平成28年に声をかけてくださった担当職員の方が、「10年後に同じ調査をやろうと思っても、同じ環境では全くできないと断言できます。今だからこそやらなければいけないと思っているんです」とおっしゃられて、純粋に、研究者として取り組む意義のあることだと感じ、この調査に参画しようと決めました。

科学的に間違っている情報でも そのような認識に至った理由が重要

 皆さんに集まっていただいて聞き取りを行うのは一度だけで、だいたい2時間から長くても4時間ほどです。記憶をたどって話してくださる方の臨場感ある語りや感覚的な部分まで記録することも大事ですが、データの正確性、事実性を確保しておく必要があります。その整合性を取るのが非常に難しいんです。
 聞き取り前には、対象地域の歴史や水害リスクに関する事前調査を綿密に行います。その地域の土地勘や話題に上がりそうな水害とその被害状況など、当時の新聞報道や自治体史、郷土史、災害記録、古地図を調べたりするほか、水路のつながり方や微妙な高低差、現地に残っている痕跡などは実際に視察したりして、可能な限り調べておきます。しかし、当時は降水量のデータも今ほど豊富ではありませんし、現在とは堤防の高さも地域の状況も変わっています。そもそも、被害がそれほど大きくなかった地域は、照合できるような記録が残っていないことも多いのです。
 そうしたときには、参加してくださった方の体験、たとえばこのお宅では床上浸水で家具を移動したのが何時ごろだったとか、帰宅途中に道路の冠水に遭遇したのは何時ごろでどの程度かなど、それぞれの記憶をつなぎ合わせて当時の状況を立体的に把握していくことで整合性を取っていきます。
 記憶が曖昧で不明点が残ったり、検証のしようがない情報もたくさん出てきますが、一つ一つの情報には、次世代の方に知ってほしいという思いも込められていて、そういう実感のこもった経験談を記録しておくことに価値があると思っています。いただいた情報が、たとえ科学的に間違っていると分かっても、そのような認識を持つに至った理由を考え、真摯に向き合い、責任を持って扱うように心掛けています。なぜなら、今はその情報に価値がないように思えても、後年に必要となる可能性があると思うからです。

防災が豊かなまちづくりの一環になれば

 水害履歴マップが完成したら、自治会総会などで30分ほど時間をいただき報告会を開催します。研究室の学生たちが自らの言葉で発表を行うので、学生たちにとっても良い勉強になります。
 また、完成したマップは各戸配布するほか、個人情報となるようなものは省いて滋賀県のホームページから誰でも閲覧できるようになっています。活用していただく機会はまだ少ないですが、一度、災害図上訓練で、災害時にどのように逃げるかなどを話し合う際のベースマップにしていただいたとき、参加された方の中に、自宅近くで過去に水害があったことをそこで初めて知ったという方がおられました。過去の水害を知ったことで、災害に対する危機意識が変わった瞬間を目にして、こういう機会をなるべく多くしなくてはいけないとあらためて思いました。
 滋賀県もベッドタウン化しているので、土地の成り立ちなどを知らないまま、駅や商業施設に近いといった便利さだけで、住む場所を選んでいる方も多くなっています。水害履歴マップを地理的情報として共有していただき、危険な場所は宅地化しないとか、今後こんな風に土地利用していくとか、地域の美しい景観を守りつつ、防災面にもすぐれたまちづくりに資するように活用していただけると嬉しいですね。防災のためにやっている営みが地域の景観を豊かにし、地域の暮らしやすさとも結びついて、最終的に地域のデザインの中に防災も一緒に入るような仕組みがつくれると良いと思います。

今後取り組みたい研究やテーマ

 水害履歴調査を行う前は、水辺の景観形成や水環境の恵みと人間社会との関係といったところに関心を持って研究を進めていたのですが、水害に強いということと、水環境を身近な豊かさに変えていくということは、どちらかだけではうまくいかないということが分かってきました。防災対策を行って被害を最小限に抑えた結果どんな暮らしが両立できるのか、目指すべき住まい方、地域のあり方を総合的に提案していくことが、ひいては防災対策を浸透させることにつながると思うので、そのための仕組みづくりに貢献できるよう努力していきたいと思います。
 また、河川基金の成果発表会で滋賀県の取り組みを知り、同じようなことをしたいという問い合わせを数件いただきました。自分のやり方が唯一の正解とは限らないので、河川にかかわる方々に多く見ていただき、そうしたつながりの中で、違う角度からのアプローチや歴史の生かし方なども模索しながら、真に防災のことをみんなで考えていければと思っています。
 今後の研究テーマとしては、地域の水害への備え方、水防組織や水防建築についての歴史的な研究など、水に備えるということと水辺の暮らしを総合的に研究していきたいと考えています。

プロフィール

関西大学環境都市工学部 都市システム工学科 准教授
林 倫子さん

2010年 京都大学大学院工学研究科都市環境工学専攻 博士後期課程 修了
2009年 独立行政法人日本学術振興会 特別研究員
2012年 立命館大学理工学部都市システム工学科 助教
2017年 関西大学環境都市工学部都市システム工学科 助教
2018年 関西大学環境都市工学部都市システム工学科 准教授

兵庫県出身。専門は関西各地の水系基盤にかかわる近現代土木史の研究。地域の歴史や伝統を活かした水辺景観デザイン、
あるいは治水政策の提案に向けて、史料調査や聞き取り調査、フィールドワークなどを行っている。

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